吉田廸子作品展によせて

吉田廸子作品展によせて

私たちは五年前、彼女が大学教授の仕事を引退した後、吉祥寺の彼女の自宅の庭にある、大きな椎木の下のプレハブの一室で数人の仲間とともに「アトリエグレープフルーツ」の集まりを創った。吉田廸子は初代の代表として力を尽くした。
私たちは彼女のことを「みっちゃん」と呼んでいた。彼女は先生と呼ばれることをとても嫌がった、私が子供達から「絵の先生」と呼ばれていたので、彼女はこのアトリエで先生と呼ばれるのは「小島先生」一人だけでいいから、自分のことを先生と呼ばないでくれと、若い仲間に先生と呼ばれるたびに言っていた。
私たちの間で話される彼女の言葉は、時として直情的で、論理は短絡し、感覚的で無造作に思いついたことをすぐに口にした。だから私たちはぶつかり合い、よく口論をした、ただ単純に自らの矛盾や葛藤を隠さずに伝えるだけなので、若い仲間に反論されると小言を聞くような子供の顔になって、神妙に首をうなだれて聞いていたが、弁明を言うのが照れくさく、下駄を突っかけ近くの和菓子屋に走り甘味などを買ってきて、みんなに食べさせていた。その無邪気すぎる、あまりの無防備な心情の有り様は、行き過ぎていて、清々しかった。その強い個性と振るまいは、私たちの集まりの経験の差や年齢等のヒエラルキーを無化するのには、充分な迫力と徹底性があった。
彼女が私たちと共に創りたかった場は、多様な人たちが集い、それぞれが表現をする創造の場であった。そこには彼女が望んだとおり多くの人が集った。大人も子供も、障害を持つ人も、音楽をやる人も、美術をやる人も、文学や詩をやる人も、踊る人も、写真を撮る人も、学ぶ人も、或は笑う人も、哀しみの人も、不平を言う人も、病気の人も、異性を愛する人も、同性を愛する人も、酒を愛する人も、何もしない人までも、知も非知も無知も混在し、新たな坩堝でそれぞれが自らを鋳直すために集まったのだ。
生前絵を描きながら「本当は文学がやりたかったんだ」と私に言ったことがあった。彼女の残した作品達は、死に直面している病者のものとは思えないほど生気を放って私たちに問いかけてくる。末期癌の激痛のなかでも、虚無にたじろぐことなく死と生の意味を考え続け、他者への信頼を手放すことがなかった。まさにそれは最後の最後まで諦めなかった彼女の本当にやりたかった「文学」の実践であり、終章だったのだと今は思える。

アトリエグレープフルーツ代表(美術家)小島顕一

 

吉田廸子作品展
2012年8月4日(土)〜9日(木)
11:00〜20:00
ギャラリー由芽のつづき 

 

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